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第38回PUSH!1st.「雪の香り」

2025.01.02
Push!1st.

あなたにも、こんな経験はありませんか?
追い求めるひとには秘密が......謎めいているからこそ、一層愛しくなっていく。あなたを誘う先にあるものは、果たして永遠の愛なのか、それとも悲しい終焉か。

雪の香り

塩田武士/文藝春秋/968円(税込)

2012年京都、新聞記者の風間恭平は、馴染みの刑事からある横領事件のメモ書きを見せられ、驚愕する。北瀬雪乃――十二年前、大学生だった風間のもとに転がり込み、ある日ふと姿を消した最愛の人の名が、そこに記されていたのだ。そして雪乃はその数カ月前、再び恭平のもとに戻っていた......2000年、二人の愛と笑いに満ちた日々と、2012年、事件の真相を追う恭平の視点が絡み合うように進む中、警察や事件関係者との虚々実々の駆け引きの中で明らかになる、哀しき真相とは。著者が書き終えたくないほどの情熱を注いだ、感動必至の純愛ミステリー。

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著者/塩田武士さんのコメント

 警察を担当していた新人記者時代、よく刑事と飲みに行った。運がよければ捜査メモを見せてもらえるのだが、そのとき、私はいつもこう思ってドキドキしていた。
 メモに知り合いの名前があったらどうしよう......。
『雪の香り』は、主人公の記者恭平が捜査メモにかつての恋人の名を見つけることから始まる。そして、12年前に失踪した雪乃という名の元恋人は今、恭平の家にいた----。
 物語は恭平が大学生だった2000年と、記者になった後の2012年を行き来しながら展開する。雪乃はなぜ姿を消したのか。なぜ今になって戻ってきたのか。恭平は人生で唯一愛した女性の真実を求め、捜査メモにあった事件の取材を始める。
 事件や失踪と聞くと、シリアスな話だと思われるかもしれない。しかし、二人のやり取りはコミカルだ。ひたすら我が道をゆく雪乃に、小気味よくツッコミを入れながらも振り回される恭平。この「まるで油断ならない面白い恋人」は、かつて冴えない学生生活を送っていた私の理想像だ。加えて、兵庫県の大学に通っていた私にとって、京都の美しい風景の中でデートをすることは、一つの夢だった。小説家になって京都へ引っ越し、せめて物語の中で想いを遂げようと思って書いたのが本作である。何と恥ずかしいことか。
 観光地だらけの街なので、もちろん名所も登場するが、意識したのは日常の京都だ。児童公園に紅茶のお店、雪の賀茂川。住んでいないと書けない「暮らしの景色」を背景にすれば、恭平と雪乃のリアルな息遣いが伝わる。そう信じて、街を歩き続けた。
 執筆する上で困ったのが、二〇〇〇年ごろの京都の資料をうまく集められなかったことだ。近過去は意外と辿るのが難しい。私は一人、市役所、公園、大学などで聞き込みを重ね、シーンに必要な一つひとつの事実を確認していった。児童公園の前身が競輪場だったことには驚いたが、人と同じように街も少しずつ姿を変えていくと、肌で感じた。
 恭平に感情移入するあまり、自作で唯一「書き終えたくない」と思った作品だ。「了」の字を打った後、寂しくてならなかったが、嬉しいこともあった。本作の装幀にある恭平と雪乃のかわいらしい人形は、立体造形作家の金沢和寛さんの作品だが、今私の仕事場にその人形が飾ってある。金沢さんに無理を言って譲ってもらったのだ。二人が部屋にいるおかげで、今はもう寂しくはない。
 今回「PUSH!1st.」に選んでいただいたおかげで、四半世紀前の冴えない大学生の夢が、形を変えて叶ったような気がしています。発表から長い時を経た作品に光を当ててくださり、本当に嬉しいです。心から感謝申し上げます。

担当編集者のコメント

 ビターとスウィートの二層構造――というとチョコレートか何かのようですが、塩田武士さんの『雪の香り』は、そんな小説です。スウィートなボーイ・ミーツ・ガールな青春物語と、一人の女性の過去の罪をめぐるビターなミステリーと、12年を隔てた二つの物語が、さまざまな顔を見せる京都という町を背景に、語られてゆきます。
 新聞記者である「私」が、顔見知りの刑事からそっと渡された捜査情報リークのメモ。そこには「北瀬雪乃」と書かれていた。「私」の同棲相手の名前だった。雪乃とは学生時代の恋人で、ほんの1週間前に再会したばかりだった。12年前にも彼女は何か隠しているようで、ある日突然、「私」の前から姿を消したのだった。警察の手が迫っているということは、やはり雪乃は何か嘘をついている。「私」は雪乃との日々をつづけながら、彼女の罪を探り始める、彼女を救うために......。
 読んだら最後、けっして忘れられないのは雪乃という女性です。まるで芸人のようなスピードで減らず口を叩き、でも無邪気でチャーミングで、主人公を振り回す。二人の言葉のやりとりが本当に小気味よくて楽しいんですよ。そして、楽しくてチャーミングだからこそ、そこに隠されている嘘と罪の苦みが効いてくるのです。雪乃という稀有なキャラクターが、ビターとスウィートをつないでいるのだと私は思っています。
 ところで、本書のカバーには石畳の上のかわいらしい男の子と女の子がいますが、よく見るとわかるように、これはイラストではありません。写真なのです。金沢和寛さんというアーティストの方による紙の人形(石畳も)で、単行本の装幀にも使用した塩田さんのお気に入りの作品です。文庫版のカバーも、このためにあらためてカメラマンとともに一日かけて撮影した写真を使用しています。すみずみまで塩田さんの思い入れのこもった一冊です。ゆっくり味わっていただけますと幸いです。

著者来歴

1979年兵庫県生まれ。2010年『盤上のアルファ』で第5回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。16年『罪の声』で第7回山田風太郎賞、週刊文春ミステリーベスト10国内部門第1位。19年『歪んだ波紋』で第40回吉川英治文学新人賞、23年『存在のすべてを』で第9回渡辺淳一文学賞。

〈開催期間:2025年1月2日(木)~ 2月12日(水)〉
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