『いなかのせんきょ』は、僕が父親から聞いた話をもとにしています。父は北海道の小さな村の出身ですが、この村の村長選挙に僕の伯父が出馬したことがありました。そのテンマツが面白かったので、時代をやや現代に移し、舞台も本州に設定して書きました。ちなみにその北海道の村は市町村合併をして、今はありません。
僕がこれを書こうと思い立ったときには、すでに「平成の大合併」は進んでいて、日本に「村」とついた場所は、すっかり減っていました。それでも探して、一人で一泊だけの取材旅行に行ったことがあります。その村をモデルにしたわけではないし、村の人に話を聞くことも殆んどしませんでしたが、東京に住んでいる人間として、「いなかのくうき」を肌で感じることが大事だったのです。それは長野県の栄村でした。昨年の地震で大きな被害を受けたと知り、さして深くない縁ながら、報道で見る村の被災に心を痛めました。
この作品を書くに当たって、三遊亭円朝の速記本を模倣しました。円朝の作品は今では怪談ものばかり残っていますが、『塩原多助』とか『名人長二』とか、人情噺の名作も少なくありません。日本近代文学のルーツとして、まだまだ考えるべきことの多い円朝作品に、いっぺん真正面から向き合ってみようという、ひそかな野心もありました。
『いなかのせんきょ』は人情噺だと作者は思っています。政治小説としては単純というか、甘いものかもしれません。また今の政治情勢などとも無関係かもしれません。けれども僕としては、震災以後の日本の政治不信、「国民」と「国家」とのあいだの溝の深さは、深刻なものがあると思っています。どうにかしていっぺん政治全体が、「いなか」という原点に立ち戻ってみたらどうだろうと、自作を読み返して思います。
だけどまあ、理屈は後回し。まずは楽しくお読みください。
エリート候補に対して真面目一徹の主人公が奮闘する話となれば目が離せません。 住人みなが知り合いの、濃い人間関係は小さな村ならでは。特に利害が絡む選挙では、 普段は隠されているそれぞれの思惑が明らかに! 主人公が繰り広げる、家族も巻き込んだ泥臭い選挙活動にも笑いあり、涙あり……。 さて、結果はいったいどうなることやら。 読者のみなさんには戸蔭村の一村民となってこの選挙の顛末を見守って欲しいと思います。